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IRトップページ > 特集:カプコンの熱き現場レポート > 戦国BASARA特集1:「戦国BASARA」開発物語
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戦国BASARA特集1 「戦国BASARA」開発物語~誕生10周年記念~

事実を基にストーリー仕立てにしています。

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「苦しい時でもチャレンジは必要や。違うか?」

Scene:1 始動 2003年 冬

「実在の戦国武将を主人公にした、新感覚アクションゲーム、ねぇ…」
役員の一人がつぶやいた。
会議室には、なんとも形容しがたい白々した空気が流れていた。居並ぶ役員達をはじめ事業部長や開発部トップも、小林が配った企画書を見つめ、渋い顔で黙り込んでいる。
このシーンでは、全員が"敵キャラ"だな…。プレゼンを進める小林裕幸は、心が次第に重くなっていくのを感じていた。

2003年11月。新鋭プロデューサー小林が提出した新作ゲーム企画のマーケティング会議。それは予想していた以上に険しい「関門」として、彼の前に立ちはだかっていた。
「今のウチの状況はわかっているよね?」
役員の一人が口を開いた。

当時のカプコンは、450億円の特別損失を出し2期連続で赤字に陥るなど経営面で苦しい状況にあった。膨大な時間と予算を要する新作ゲームの開発は、会社にとって大きなリスクでもある。経営層の抵抗は、小林もある程度覚悟はしていた。
「わかってます。だからこそ収益の上がる企画として、これを出しているんです!」
そう言って小林は相手を睨んだ。 これ以上の損失を出すわけにはいかんよ。新作よりまず、安定収益の見込めるヒットタイトルの続編に力を注ぐ。それがセオリーだろう」別の役員が言った。
「今までにないカジュアル層向けのゲームなんです。安全策ばかりじゃジリ貧状態になりますよ!」小林は食い下がった。
販売責任者が言った。「そもそも、ウチにはすでに"戦国モノ"があるじゃないか」

確かにカプコンは2年前、「鬼武者」という戦国時代をモチーフにしたサバイバルアクションゲームをリリースしていた。
「『鬼武者』とは全然違うんです、企画書をちゃんと読んでください!」
「自社内で"食い合い"をしてどうするんだね」
「だから、ターゲットが違うんです。食い合いにはなりません!」
「だいたいカプコンの名前でこんな軟派なゲームを出すのはどうなんだ」

次々と浴びせられる厳しい意見に、ふだんは強気な小林も、心が折れそうになってきた。だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。絶対に通してやる。小林は顔を上げ、役員達の目をしっかりと見据え続けた。

その時、澱んだ空気を破るように、快活な声が響いた。
「やってみたらええ」
社長(現会長)の本憲三だった。全員の視線が彼に集まる。
「小林君の言う通り、苦しい時でもチャレンジは必要や。違うか?」

カプコン創業者として日本のゲーム業界を牽引してきた本は、これまでもヒット作を生み出した多くの若いクリエイターの才能を早期に見抜いてきた。その天性の"目利き力"には誰もが一目を置く。会社としてヒットタイトルはもちろん欲しい。トップが推すなら、新作に賭けてみるのも一案かもしれない。小林の必死の熱弁と本のひと言によって、場の空気は徐々に変わっていき、1時間後、『戦国BASARA』と小林が名付けた新作ゲームの開発がようやく承認された。

だが、それは新たな試練の始まりでもあった。

「難しさ」に代わる魅力をどう生み出すのか…。答えは小林自身にも、まだはっきりとは見えていなかった。

Scene:2 混沌 2004年 夏

「『戦国BASARA』のチームにだけは入りたくないよな」
「まったく。あんな売れそうにないゲーム、つくってる奴らが気の毒だよ」
開発ルーム前の廊下を歩いていた小林の耳に、そんな会話が漏れ聞こえてきた。この数ヵ月、こうした社内の声はしばしば耳にしている。もともと賛同者の少ないことは承知だが、やはり精神的にこたえた。

2004年7月。『戦国BASARA』の製作スタートからすでに8ヵ月が経過し、完成まで残された時間は約10ヵ月。そんな時期にきても、『戦国BASARA』を取り巻く冷たい空気を社内の至る所で感じる。連中の気持ちもわからなくはない。カプコンにとって初めてともいえる挑戦を、すんなり理解してもらえるとは思っていない。ただ…。

小林の心が晴れないのは他にも理由があった。この時期、開発チーム内でも一体感が急速に失われつつあったのだ。最大の原因は、ディレクターや各パートのリーダー達にも開発の方向性が今ひとつ理解されないことだった。

小林の打ち出したゲームコンセプトは「誰もが楽しめる戦国アクションゲーム」。だが、それは従来のカプコンの"常識"を外れていた。問題は「誰もが楽しめる」こと、すなわちゲームの「簡単さ」にあった。

カプコンが得意とするバトルアクションゲームは、ある意味その「難しさ」が売りだ。様々なボタンを駆使して、高度な技を繰り出し、敵を倒す。勝利の喜びを味わえるのは熟達者のみ。難しいからこそ、楽しい。それがバトルアクションの"常識"だった。

「ボタンを押すだけで敵がばたばたと倒れていくゲームのどこが面白いんですか?」開発スタッフ達ですら、そんな疑問を幾度となく小林にぶつけていた。

だが「誰でもできる」ことこそが彼の狙いなのだ。カプコンのバトルアクションは熱烈なファンがいる一方、「初心者には難し過ぎる」という定評がある。だから敷居を思い切り下げ、新しいファン層を開拓しようと考えたのだ。しかし「難しさ」に代わる魅力をどう生み出すのか…。答えは小林自身にも、まだはっきりとは見えていなかった。

出口が見つからない焦りと苛立ちの中で、チーム内での衝突場面が増えていった。それがどんどんエスカレートし、「このままでは収拾がつかない」と判断した小林は、1ヵ月後ついにディレクターの交代を決意する。

開発チームの中心で指揮をとるディレクターは、映画でいえば監督だ。それを代えるのは映画で全シーンの撮影を初めからやり直すのと同じ。残り期間を考えれば無謀というしかない。だがこのまま進めても、社内の予想通り失敗企画になってしまうだけだ。

新ディレクター候補として、小林の脳裏には一人の男が浮かんでいた。ゲームデザイナーの山本真。過去に何度か共に仕事をしたが、人となりを深く知っているわけではない。だが彼なら状況をきっと打破してくれる、という直感が小林にはあった。

やはり、あいつしかいない…。意を決して、小林は電話に手を伸ばした。

『戦国BASARA』のディレクターになってくれないか?

Scene:3 転機 2004年 夏

「『戦国BASARA』のディレクターになってくれないか?」

小林からそう打診された瞬間の驚きと、心を駆け巡った複雑な感情を山本は今でも覚えている。

『戦国BASARA』チームに向けられる社内の冷ややかな視線は、もちろん知っていた。チーム内の衝突場面にもよく出くわし「苦労しているんだな」と同情を覚えたのも事実だ。しかし所詮は他人事。まさか自分がこのやっかいなプロジェクトに関わろうとは。しかも残り9ヵ月という時期に…。

だが、当惑の一方で、山本は静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。
「どんなに困難な状況でも最後の最後までNOは言わない」というのが彼の信条だ。逆境はむしろやる気の源。壁が高ければ高いほど「乗り越えてやろう!」という気持ちが燃え上がる。

やや間をおいて、山本は言った。
「わかりました」
迷いはなかった。やってやろう。
「ありがとう!」
小林の目がかすかに潤んだように見えた。

実は山本には、行き詰まっている『戦国BASARA』開発の突破口が少し見えていた。2年前(2002年)に中途入社で開発部に来た山本には、"カプコン流"の固定観念がない。前職ではアクション、スポーツなど幅広いジャンルのゲームを手掛けてきた。そうした"異文化"の視点から、山本は小林のコンセプトを実現する切り札を、ほどなく見出した。

それが「キャラクター」という要素だ。

プレイヤーが操るキャラクターに飛びきりの「個性」と「存在感」があれば、バトルそのものは簡単でもそこに自分を投影してゲームに没入してもらえる。むしろバトルが簡単だからこそ、キャラクターの存在感を楽しむための様々な工夫の余地が生まれるはずだ。

「キャラクターをつくり直します。今までにない、思いきり個性的な戦国武将でいこうと思います」
ディレクターを引き受けた1週間後、山本は小林にそう告げた。

「その手があったか!」
小林は、山本の意図を即座に理解した。後の「戦国BASARA」シリーズに受け継がれる「キャラクターゲーム」のコンセプトは、この時誕生したといえる。
「よし! 残り9ヵ月、全てのエネルギーをキャラクターづくりに集中させよう!」

山本新ディレクターのもと、開発チームはようやく一体感を取り戻して動き出した。

小林と山本の自由な議論から多彩なアイデアが次々に生まれていった。

Scene:4 創出 2004年 冬

「えっ、伊達政宗が英語を喋るんですか?!」
驚くチームスタッフに山本は笑顔でうなずいた。
「うん、伊達家というのは戦国時代から外交に通じていた。
英語はもちろん使わなかったろうが、そういう史実との繋がりを持たせながら個性的なキャラクターをつくっていくよ」

実在の武将をモデルにする場合、キャラクターは史実に忠実なデザインにするのが普通だ。だが小林と山本の立てた開発方針は「史実の1を100に」。史実を起点としながらも、自由な発想でそれを徹底的にデフォルメ・拡大し、思い切りぶっ飛んだ戦国武将キャラをつくり出そうと2人は考えた。
「本多忠勝という武将は『生涯に100戦して一度も負けなかった』といわれてるよね」
「なら、そこを強調して『最強キャラ』にしましょう」
「いっそのこと鋼鉄ロボットにしてしまおう。刀じゃ歯が立たないくらいの」
「主君の徳川家康を少年にして、ロボットを操らせても面白いですね」

そんな調子で、2人の自由な議論から多彩なアイデアが次々に生まれていった。そこで意識したのは、様々なエンターテインメント要素が混在する「ジャンク感」だ。ロボットになった本多忠勝はSF要素。他にも少女漫画、ホラー、オカルト、コメディ等々多彩なカラーが各キャラクターに与えられ、「何が出てくるかわからない」ワクワク感を生み出した。

キャラの存在感を高めたもう1つの要素が「会話」だ。一般にアクションゲームのキャラクターはほとんど喋らない。忙しいバトル中に呑気に話す閑などないからだ。だがバトルよりもキャラクターに重心を置く『戦国BASARA』では、伊達政宗の「英語」のように科白もキャラの重要な個性。主人公や敵キャラはもちろん、ばたばたとなぎ倒される雑兵達にも多くの科白が与えられた。その場にいない武将さえも「バトルを観戦しているコメンテーター」の視点で自由に発言させた。

この会話の魅力をより深めたのが「音声」だ。当時、ゲームキャラクターの科白は字幕表示が普通だったが、それだけでは存在感が薄い。
「『声』も入れよう。それも一流の声優を使って」そう提案したのは小林だ。
「演技力のあるトップ声優ならキャラクターの存在感も格段に高まるし、その起用自体が話題を呼ぶ」
「でも、そうなると費用も嵩みますよ」
「予算はおれがなんとかするよ。22体のキャラクター全てにトップ声優をあてよう」

1ヵ月後、声優による音声が入ったゲーム画面のテストランが行われると、スタッフの間に今までにない大きなどよめきが走った。
「こんなアクションゲーム見たことないです!」
「小林さんと山本さんが言っていた世界観の意味がやっとわかりました!」

そこには誰も経験したことのない独自の魅力をたたえた「『戦国BASARA』の世界」がくっきりと現出していた。これはきっと売れる。スタッフの誰もが、この時ヒットを予感した。

戦国BASARAの歴史

2005年7月 PS2

戦国BASARA

「伊達政宗」「真田幸村」を中心に個性的な武将達が産声をあげたシリーズデビュー作。

2006年7月 PS2

戦国BASARA2

主人公として新武将「前田慶次」が参戦し、 アクションだけでなく物語にも厚みを持たせた 作品。

2007年11月 PS2,Wii

戦国BASARA2 英雄外伝(HEROES)

敵武将として「松永久秀」が参戦!『2』で描ききれなかった武将達のアクションとストーリーを展開した作品。

2008年6月 PS2

戦国BASARA X(クロス)

格闘ゲームユーザーにも「戦国BASARA」を楽しんでもらえるよう開発したシリーズ初の2D対戦格闘ゲーム作品。

2009年4月 PSP

戦国BASARA バトルヒーローズ

総勢30名もの人気武将達のチームバトルを携帯機で実現した、初の携帯ゲーム機向け作品。

プロフィール

プロデューサー 小林 裕幸

プロデューサーとして「戦国BASARA」、「ドラゴンズドグマ」、「デビル メイ クライ」、「バイオハザード」など人気シリーズを担当。

ディレクター 山本 真

デザイナーとして入社後、「戦国BASARA」のディレクターとして抜擢される。以降、シリーズを通してディレクターを務める。

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